ルールを守らなかったものに対する罰当たりは当然だという感情の芽生え

決められたルールを守らなかったものには、バチが当たる。

 

横断歩道がない交差点などには、自転車と歩行者が通れる地下道がある。

こういうところは歩行者も通るから、自転車は押してくださいというような文言が書かれていて、自転車から降りて自転車を押して通らなければならないというルールがある。

 

そういう中でも、降りずに自転車を漕いで進む人もいる。僕もたまにそうすることがある。

 

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先日、そのような道を通る機会があった。僕は自転車から降りて進んでいたのだが、後ろから自転車に乗りながらこの道を進むおじさんがいた。おじさんは後ろから見ておじさんだとわかった。

 

自転車に乗ったまま行く人は多いから、普通に何も思わず見過ごしていたのだけど、そのおじさんが僕の少し前でこけた。荷物がコロコロと自転車のカゴからこぼれ落ちる。

 

坂を登ろうとしていたところ、反対側から来た自転車とぶつかりそうになり、よろけて転んだのだ。反対側から自転車に乗っている人もルールを守ることなく自転車を降りずにこいで進んでいた。

 

僕はそのおじさんが転んだ時スッと助けにいくことができなかった。心配するように転がった荷物を拾うこともできなかった。

 

僕はその人はバチが当たったんだと思った。ざまあみろとさえ思った。

 

その人は特に怪我もなく、転がった荷物は反対側から来たぶつかりそうになった自転車の人が拾った。その場は普通に何も起きなかったようにことが終わった。

僕は何をすることもなく通り過ぎた。

 

僕は高校生のとき、スマホの画面を見ながら自転車をこいで田んぼに自転車ごと突っ込んだことがある。僕は自業自得だと思った。ルールを守らなかった罰が当たったのだと思った。

 

そういうよくないことをした人は痛い目を見るんだ、という考えが僕の心の中にある。そのおじさんも僕もルールを守らなかったからバチが当たった、そう思う。

 

ルールを守らなかったものはバチが当たって当然だ。

僕はたしかにその考えを持っているのだけれど、少しその考えは恐ろしいものではないかと思ったりもする。

 

 

今回僕はそのおじさんを助けに行くことができなかった。そんな目にあったのはあたかも当たり前だと思うような振る舞いを僕はした。してしまった。