小説の更新について(あるいは、卒論のことについて)

ちょっと物語が全然思いつかない。金曜日は小説を書くというルールを決めたのだけど、どの曜日よりもきつい。書けない。そういう時はどうするか。それは全然関係ないことを書いたりするのだ。そういう日もあっていいだろう。僕がいいと言っているのだから、それはいいとしよう。これは僕のブログだ。金曜日の小説は本当にたまにしか更新されないと思ってもらってもいいかもしれない。僕はかなり切羽詰まっている。他に書かなければいけないレポートが溜まっていて、それを言い訳にしたくはないけど、物語めいたものを語るには時間がなさすぎて、1ヶ月に1回くらいのペースで長期的に書いていくことになるだろう。それが2ヶ月に1回、3ヶ月に1回くらいになり、いずれ僕は小説なんて書けません、なんてほざいていそうだ。そういえば最近小説をほとんど書いてない、なんてことになってそうだ。とりあえず、今日更新するには、時間がなさすぎるので、他の話をする。でも、いくら何でも全く関係ないテーマもどうなんだという感じがするので、小説と少しは関連した話をしていきたい。僕は今大学で何を学んでいるかというと、アメリカ文学アメリカの文化などについて学んでいる、と言っていい。卒論も先日中間発表が終わり、なんとか先が見えてきたところだ。今年中に終わる気はほとんどしないが。で、僕が卒論で取り上げているのが、研究しているのが、レイモンド・カーヴァーの短編小説だ。『ささやかだけれど、役に立つこと』と『大聖堂』。どちらもまぁまぁ有名どころの作品だ。この二つの小説に共通しているテーマである身体的コミュニケーションに重きを置いて二作品を比較しながら色々とカーヴァーが描き出そうとしたものを論じようとしている。くりかえしなんども読んでいる作品であるが、結構難しい。ストーリーはわかりやすいっちゃあわかりやすいのだけど、いろんな意味が取れる、解釈ができる作品だ。いろんな要素が込められている。村上春樹とも関係が深い作家で翻訳は村上春樹のものをずっと読んでいる。他の小説があまり読めていない最近。もっと色々と読みたくて本棚には溜まって溢れたりしているのだけど、仕方ない。図書館で借りてきた本もあったりする。論文もいくつか読むべきものが溜まってきた。だからと言ってはなんだけど、小説を書いている場合ではない。だから少しの間は小説の更新は空くだろう。それでも、それの代わりと言ってはなんだけど、小説関連の話をこの金曜日にはしようと思う。

今日はこのあたりで小説関連の話をしたということで。

来週もこんな感じになるだろうと踏んでいる。