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鳥にフンを落とされた話

僕は今まで生きてきて鳥にフンを落とされたことが4回ある。

覚えている限りになるが、小学生の時に1回、中学生の時に2回、高校生の時に1回だ。

肩やカバンに落とされた。

 

小学生の時と高校生の時は、フンを落とされたことに自分で気づいた。自分で気付いたときは、他の人に見られないようにまずティッシュでフンを取る。そして流し場で水で洗う。大丈夫たぶん誰も気づいていない。

 

問題は自分で気づかなかった時だ。中学生の時は落とされたことに気づかなかった。気づかぬまま教室に入り、席についた。2回とも友達から指摘されてひどく笑われたのを覚えている。肩に落とされているものだから、自分でも見えやしない。自転車に乗っている時に落とされたもので、落とされたことに自分では気づいていないのだ。

 

授業が始まる前に友達が、「お前、背中なんかついてね?」と言ったので、僕は背中に手をやった。普通やるだろう、背中になんかついているよ、と言われた時には背中に手をやるだろう。

そしてフンは僕の手についた。友達から汚ねぇと笑われた。その声はクラスに広まり女子からも汚い目を向けられた。

すぐにトイレに行って洗った。かなりベットリとついていたものだから、服を脱いで洗った。肩のあたりが丸く濡れた制服でその日1日を何とか過ごした。もう少ししっかりとしたフンをしてくれれば良かったのに。

フンを落とされフンが手についた時、その時はひどい言われようだったが、その後には友達や女子からの目は汚いままではなかった。友達からも嫌われることはなかった。うんこマンならぬフンマンとかそういった変なあだ名とかつけられなくてよかった。

大体のことは、大抵のことは、忘れてくれるものだと思っている。フンを落とされたことなど忘れてくれるに違いない。

 

フンを落とされた経験のあるものは、ひどく背中を気にするのではないかと思う。僕がそうだからだ。フンを落とされた日から1週間はまず背中や肩を見てフンが落とされていないかを確かめてから教室に入る。教室に入る前に必ず確認が必要だ。

 

フンを落とされたのを拭く時、ひどく情けない気持ちになっている。何で僕の上にフンをするのだろうか。フンを落とされてひどく嫌な気持ちになっている。

自分のフンでもない、人のフンを洗うのだ。それはやっぱり嫌なものだ。汚いものだ。僕が父親になった時に子供のウンチを拭く練習になるのではとか考えたけれども、赤ちゃんは自分の子供であり、鳥は他人だ。鳥は他鳥だ。鳥は僕とは全く関係ない。そんな関係ないものである鳥のフンをなぜ僕がぬぐい取らないといけないのか。鳥は僕があなたのフンを洗い流していることなど知らぬ顔して、飛んでいることだろう。

 

やった方は気づかないものだ。やられた方はよく覚えているものだ。たいていそうだろう。

 

フンを落とされた時には、沈む気持ちになったり、ネガティブな気持ちになるものだ。人をこれだけ嫌な気持ちにするのだから、僕も絶対他人にフンを落とさないようにしようと思う。もちろん鳥も同じだ。聞いてるか鳥よ、できるだけフンはと落とさないようにしような、お互い。でも飛んでたら仕方ないか、我慢できなくなったらやるしかねぇよな、下に人がいるのが悪いんじゃあねぇかって思うよな。人のせいか。うん、仕方ない我慢してやる。

 

フンを落とされたことをネガティブでなく、ポジティブに捉えてみたい。うん(運)がついているという言葉によって。僕は今まで4回も鳥にフンを落とされたのだ。運が4回もついたのだ。これはとても幸運なことではないだろうか。鳥が僕に幸せを運んでくれたのではないか。運を僕につけてくれたのではないか。そう考えてみると、鳥にふんを落とされたくなってこないか。

誰だって運というものを少しは信じているはずだ。僕も運でここまで生きてきたところがある。運によってたまたま生かされてここにいるのだ。もしかしたら僕にフンをした鳥のおかげかもしれない。

 

僕はまたこれからも道を歩いている時なんかに、フンを落とされることがあるかもしれない。その時それは僕を幸せにする、または僕を生かす運の塊だと思いたい。

 

あなたは鳥にフンを落とされたことがあるだろうか。

最近鳥の話を聞いて思い出した話がこれでした。鳥には気をつけていきたいものです。