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大学生。毎日更新。

映画『リメンバー・ミー』で記憶というものについて少し考える〜昨日の続き〜

別れの季節にふさわしいと言えるのか、それはまた人それぞれの感じ方だと思うのだが、映画『リメンバー・ミー』はこの時期に観ておいて正解の映画だったんだろうと思う。

正直、観るまではこの映画をなめているところがあった。予告を見た時点で、だいたい展開は読めるよ、とか、劇場で観なくてもいいだろう、とか思っていた。でも、おととい、バイトが早く終わりちょうど時間が空いていたから、しかもメンズデイということもあり、映画館へ行くことにした。そして見たらこの最初の感情はひっくり返された。なめてて悪かった。

平日にしては人がいて、僕がいつも座る場所はすでに押さえられていた。仕方なく、少しずらして席をとった。そして席へ向かうのだが、ここで問題が発生した。僕の席にだれか座っている。だれかよくわからない人。自分のチケットと照らし合わせてみる。いや、確かに間違っていない。でも、そこは俺の席だぞ、と言えず、そう思うだけで僕は誰も取らなさそうな後ろの一番端の方に座った。そういった場面に出くわした時に、席間違ってますよ、という声をかけられない人が僕なのだ。そんなにその席で見たいのかよと思われるのが嫌だったり、移動してもらうのを申し訳なく感じたり、だから言わない、というか言えない。そういう人物であるのだ、僕は。

 

まぁ、いい。席はいいとしよう。ということで観始めた。メモを取りながら。

この映画で僕が考えたことを二つ書きたい。

一つは、やりたいことをやること、やりたいことをやらせることの大切さについて。二つめは、忘れられてしまうことと、記憶に残り続けることについて。

 

まず、一つ目。

この映画の主人公であるミゲル君は音楽というものを家族から取り上げられる。外から音楽が聞こえてくれば、窓を閉める。ギターを弾こうとすれば、ギターを取り上げられたり、ギターを折られたりする。とにかく音楽との交流がない。自分はギターを弾きたい、歌を歌いたいと思っているのだが、音楽に触れることを家族から禁じられている。

僕はどうだっただろうか、そんなことを考える。僕の場合は禁じられているものがゲームだった。欲しいなと思う時もあったが、買ってはもらえなかった。ゲームを買うことを禁じられていた。小学生の時は確か友達から貸してもらったりしてやってはいたのだが。親に買ってもらうことはできなかった。そもそもゲームをやる時間がなかったというのかもしれないが。ゲームをやるくらいだったら野球しろと言われていた。じゃあこの禁じられたことで今の僕がどうなったのか、それは誰にもわからない。あの時ゲームをやっていればどうなっていたか、そんなことはわかるはずはない。でも、禁じられていたことがあの時の、あくまであの時の僕には負の影響を及ぼしていたんじゃないかと少し思う。やりたいことをさせてもらえない。というのは辛いものだな、と思うのだが、これはまだ僕が子供心を持っているからなのかもしれない。親の気持ちになると、子供がやりたいことというよりも、子供にやらせたいことの方が優ってしまうものなのか、とか考えてしまう。そうなのだろうか。それは親になってみないとわからないものかもしれない。子供にこんな風に育ってもらいたい、という感情は親には誰だってあるはずだと思うのだ。いまのまだ子供な僕は子供の好きなことをやらしてあげたい、と思っているのだが、やっぱり大人になると、それができるかはわからない。できるだけしてあげたいといまの僕は思っているところだ。親が望むのは、親より先に死なないことと糸井さんが行っていたけれども、親が子に望むことなんてそれぐらいなのかもしれない。ましてや、ゲームや音楽をやりたい子供にそれを禁じることはいくら親でものぞみすぎなことではないかと、いまの僕は思ってしまうのだ。

 

次に、二つ目。

僕はよく忘れる。忘れっぽいのかもしれない。忘れられるのが辛いという人もいるのかもしれないが、僕は人に対して忘れないで欲しいという感情はあまりない。いや、ほとんどないと思う。誰かの記憶に残り続けたい、とそんな感情は現れない。でも、やっぱり忘れられるのは辛いよなとも思ったりする。またあったときに誰ですか?となるのはなかなか苦しいものだ。自分から覚えておいて欲しいと望まないながらも、覚えてもらえてなかったら、悲しかったりするのだ。そんなもんだろう、ほかの人も。一方で、誰かの記憶にずっと残り続けるのもなんだかなぁ、と阿藤快みたいに思ってしまう。僕には関係ないのだから、覚えてもらっておくのはかまわない、記憶に残し続けるのは構わない、僕だってずっと覚えている人がいるのだ。でも、覚えておくからな!絶対忘れないからな、という言葉に少し違和感を感じてしまう。素直に勝手に覚えておくものなのだ。記憶というのは、勝手に覚えて勝手に記憶されるものであるべきなんじゃないかと思ったりするのだ。まぁでも、お前のことこれからも絶対忘れないからな!と言われても、その人はすでに忘れてたりするんだろうけど。

 

今日で3月のブログも終わり。昨日は中途半端に公開をしてしまった。ので、今日は昨日の続きを。また今日もまとまらないまま公開へ。ブログに割く時間を考えよう。これからのブログについて考えよう。