世界はこんなに素晴らしい

大学生。毎日更新。

映画『リメンバー・ミー』で記憶というものについて少し考える。

別れの季節にふさわしいと言えるのか、それはまた人それぞれの感じ方だと思うのだが、映画『リメンバー・ミー』はこの時期に観ておいて正解の映画だったんだろうと思う。

正直、観るまではこの映画をなめているところがあった。予告を見た時点で、だいたい展開は読めるよ、とか、劇場で観なくてもいいだろう、とか思っていた。でも、おととい、バイトが早く終わりちょうど時間が空いていたから、しかもメンズデイということもあり、映画館へ行くことにした。そして見たらこの最初の感情はひっくり返された。なめてて悪かった。

平日にしては人がいて、僕がいつも座る場所はすでに押さえられていた。仕方なく、少しずらして席をとった。そして席へ向かうのだが、ここで問題が発生した。僕の席にだれか座っている。だれかよくわからない人。自分のチケットと照らし合わせてみる。いや、確かに間違っていない。でも、そこは俺の席だぞ、と言えず、そう思うだけで僕は誰も取らなさそうな後ろの一番端の方に座った。そういった場面に出くわした時に、席間違ってますよ、という声をかけられない人が僕なのだ。そんなにその席で見たいのかよと思われるのが嫌だったり、移動してもらうのを申し訳なく感じたり、だから言わない、というか言えない。そういう人物であるのだ、僕は。

 

まぁ、いい。席はいいとしよう。ということで観始めた。メモを取りながら。

この映画で僕が考えたことを二つ書きたい。

一つは、やりたいことをやること、またはやらせることの大切さについて。二つめは、忘れられてしまうことと、記憶に残り続けることについて。

 

まず、一つ目。

この映画でミゲル君は音楽を家族から取り上げられる。自分はギターを弾きたい、歌を歌いたいと思っているのだが、音楽に触れることを家族から禁じられる。