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みうらじゅんは泣くことが幸せの基準だという

みうらじゅんが、幸せとは何か?と聞かれた時に、涙が出ることとかなんとか言っていたのをふと思い出した。涙が出ることが幸せの基準だと。あくまでそれはみうらじゅんの幸せということなのだろうが。だから、葬式とかでも泣いたことはないと。それは幸せではないから。

 

幸せの基準が泣くというのは僕にとっては当てはまらない。小さい時だったが、おじいちゃんが亡くなった時僕は泣いていた。いまでも僕はたまに泣く。大学入ってからも何度か泣いている。

 

どんな時に涙を流すのか。一人暮らしが始まった時に、妹たちにもらった手紙や親がくれたアルバムに涙した。一人部屋で泣いている自分がいた。それをよく覚えている。いまでもその手紙やアルバムをみれば泣いてしまうかもしれない。

家族への愛に涙する。それは幸せを感じての涙かもしれないし、さみしさからの涙かもしれない。涙がなぜ流れたのか、自分でもはっきりしないものだ。

「なんで泣いてんの?」

「いや、よくわかんないけど涙が出てくるんだよ」

 

あとは映画を見ているときによく泣く。めちゃくちゃ泣く。ティッシュを二、三枚一気にとって涙を拭く。そして、またティッシュをとり、思いっきり鼻をかむ。涙と鼻水は同時に現れる。

 

本を読んで泣けるという人もいる。しかし、僕は本を読んでいて泣いたことはあまりないと思う。本を読んで泣いたことを覚えていない。ということは流したことないと思う。「『君の膵臓を食べたい』を読んで泣いた」と友達が言っていた。僕は本を読んで泣くという経験がないので良くわからなかった。映画を観ると泣いて、本では泣かない。

 

僕が今までみた中で泣いた映画ってなんだろうな。そんなことを考えながら今日は書いている。だから過去に観た映画を振り返りながら、泣いたことをよく覚えている作品をひとつ挙げたい。

それは、

 

 

アルマゲドン

アルマゲドンは泣けるよな」と言っている人には「あぁ、確かに僕もそう思うな」と相槌を打ちたい。しかし、僕においては一番最初に観たときだけね、ということを付け加えなければならないが。最初観た時はオンオンと泣いていたのだけれども、2回目や3回目は泣けなかった。一番最初の印象はやっぱり強い。これが2、3回目にも残っていて、ストーリーもだいたい頭に入っている。だからなのか。

初めて見た時に僕が泣いたのは、ハリーとグレースの別れのシーン。あそこでボロ泣きした。親子の絆や愛と言ったものに涙が流れやすいのか。僕はだいたいグレースの子供としての立場からこのシーンを見ていただろう。次は年をとって、ハリーの親として立場から見て見たいと思う。映画は観る時によってずいぶん感じ方が変わるだろうと思うからだ。これはもちろん映画だけではないと思うが。

あと、この映画は歌もいい。


I Don't Want To Miss A Thing Aerosmith アルマゲドン 【日本語字幕】.flv

 

他にも色々泣いた映画はあるから、また今度それについて書こう。

ひとつずつでも、少しでも続けることが大事と自分に言い聞かせている。