世界はこんなに素晴らしい

大学生。毎日更新。

意識しないように意識する

この世は可愛い人であふれている。

 

どうしても可愛い人をみると見つめたいと思うけど、見つめてたら気持ち悪いから、なんとなく目をそらしたりする。

 

あなたに意識はしていないんだよ、可愛いとは思っていないんだよ、ということを相手を見ないことで伝えるけど、そのぎこちなさとかが相手に伝わってたりする。

 

可愛い人を見たい気持ちをおさえて、見ないことで相手に意識をしないようにしているけど、意識しないようにすることがますます深い意識へとつながる。

 

 

 

外へ出ると、必ずどこかで人とすれ違うことになる。

 

僕はすれ違う人と顔を合わせない。ようにしている。自転車に乗っているときも歩いているときも、すれ違う人の顔を見ない。ようにしている。

 

人とすれ違うことが苦痛だ。

たぶん、めちゃくちゃ自分のことを気にしてるんだと思う。どう見られているのかを意識しちゃってる。

 

出来るだけ意識しないようにするけど、それはやっぱり意識をしているということだ。

 

意識しないようにすればするほど、意識してしまう。

 

意識しないように、と意識をしてしまっている。

 

で、そういう意識してないように見せる自分を意識しながら人とすれ違う時って、たいてい相手がこっちを見てきてるなぁと感じてしまう。たぶん見てないのに。

 

 

他人の目や自分の目を意識しながら、それでちょっと苦しみながら、生きている。

自分がうまくできないことは、この世の多くの人がうまくできないよ

自分ができないと、できる人ばかり目に入っちゃう。

 

 

できない人はできる人のことをみて、自分ができないことに対して劣等感を感じる。

 

僕はいま、短期でプールの監視員のアルバイトをしている。

プールなんて小学校の授業以来泳いだことがないのに、時給が少し高かったので応募して採用された。

 

そこで、監視員は全員、救助方法を学ばなければならない。もちろん監視員になるのだから、当たり前だ。もしもの際に人を助ける職業だ。

 

 

心肺蘇生法、AEDの使い方、怪我の対処。

 

それだけじゃなくて、溺れた人をどう助けるのかといったものも、実践的に学ばなければいけない。

 

まわりは泳ぐのに慣れていたり、水中になじめている人が多い。プールの監視員経験者も多く、みんな様々な救助法をどんどんとこなしていくのだ。

 

一方、僕はなかなかうまくできない。最初からそううまくはできないのだから、と自分に言い聞かせながらも、まわりを見るとできている人ばかりで、焦ったり、恥ずかしかったり、劣等感を感じたりする。

 

まわりにできる人がいると、どうしてもできない自分が目立っているように思える。

できていない自分をとてつもなく強く痛感するのだ。つらいと思うことがある。

 

 

だけど、この劣等感はその場限りのものだ。だいたいの劣等感は狭い範囲で自分が勝手に感じているだけだ。ごくごく限られた相手だけを見て劣等感を感じている。

 

その状況における限りある人だけを見て、勝手にできない自分を責める。できない自分が嫌になってきたりする。

 

 

でも、もっと広く広く世界をみてみると、それをできない人は自分以外にもとんでもない数いるのだ。

 

 

自分だけができないことなんて、絶対にないのだ。

 

 

できない人はできる人を見て、劣等感を感じちゃう。僕もそんなことを常々感じたりする。

 

 

俺だけできないなんてことは、間違いなくない。

 

 

劣等感は自分を高めるものとしてうまくはたらくことだってあるけど、やっぱり自分を低くとらえて落ち込んだり、ずっと気分が沈んでしまうことが結構多いから、あまりいいものとして僕はとらえていない。

 

劣等感を感じて落ち込んでしまうくらいなら、自分以外のできない人のことを想像して、ちょっと落ち着いたりホッとしたりしても、それはそれでいいだろうと思っている。

 

できないことに甘えちゃダメだけど、そして、もちろんそこにはできるための努力が求められることもあるのだろうけど、そこまで劣等感で苦しめられたり、気分を落としたりする必要はない。

 

 

自分ができないことは、他の人だってできないのだ。できない人を味方につけて、少しは気分を楽にしてもいい。

 

できないことで苦しむけど、できない人は僕以外にもいるさと楽観的にいてもいい。

 

できない人はできない人の気持ちがわかる。

できる人はできない人の気持ちがわからない。

 

これ教育にも通じる。家庭教師なんかしていてもそれを思うところなんだ。

 

 

あなたが今できていないことは、きっと他の人もできない。

そう思うことも時には大切だ。

まずは登録することがなんといっても大事

フルマラソンに向けて、運動をしなければいけない。

 

僕は12月1日にある松江城マラソンで42,195キロを走ることにした。

そこで、なんとしてでも完走したいのだ。

だから、そのためにはやはり訓練が必要だ。

 

ただ、僕は自分一人で運動をできるかと言うと、多分できない。家で筋トレだったり、いざ近くを走ろうかと思っても、なかなかできない。

 

だから、ジムへ入会をした。まだ一度も行けていないのだが、とにかく登録はした。

 

まずは登録することが大事だ。

 

そこは結構施設が充実しているみたいで、プールや温泉みたいなものもあるみたいなのだ。運動後は温泉にでも使ったりして、それがまたモチベーションになればいいだろう。プールで泳ぐこともいい運動にはなるだろう。

 

 

ジムへ行けば運動をせざるをえなくなる。運動をする他に何もすることがないと思う。まわりに影響されてなんとなくでも身体を動かすしかないと思っている。

 

意欲は環境によって向上する。

 

 現状、運動という運動を全くしていない。

こんな人間がフルマラソンを完走することなどできるのだろうか。

 

それはマラソンが終わるまでわからない。

 

 

すぐにでも行けばいいのに、なんとなく行かない理由を作っていたりする。

これじゃダメだと自分に厳しくできない。いつまでたっても、自分と女性には弱いし、甘い。

 

 

何かしらこのフルマラソンへの挑戦の中で気づきなど、変化などあればまたこのブログに書き残しておきたいと思う。

 

とにかく、1万円も払ったのだ。僕は走る。

朝早く起きるために僕がやっている具体的なこと

 

www.blowwind.jp

 

早起きのために僕がしていることというタイトルで書いたこの記事は、予想通り何の反響もなかった。いつも何の反響もない。それでも書くのだ。

 

 

早く起きたきゃ早く寝ろ

早く寝たけりゃ早く起きろ

 

という結論で、まったくためにもならなかっただろうと思う。でもいいのだ。別に誰かのためにならなくてよい。

 

 

早起きのためにやっている具体的なこともちょっとだけ書いてみようと思う。

 

特に意識的にやっているのは、2つだ。

 

まずは、寝るときに腕にバンドをつけてその振動で起きるようにしている。

 

このバンドには、時計、心拍を測定、ストップウォッチ、タイマーなど様々な機能がついている。

Apple Watchとはまた全然違うのだろうけど、携帯と連動して着信があったら振動で教えてくれたりもする優れものだ。

 

朝起きたい時間を携帯で設定していれば、バンドが振動して起こしてくれる。

手首の振動で目が覚めるというわけだ。

 

今まで携帯のアラームで起きる努力をしていたのだが、音で目覚められないことがあった。

 

で、起きるきっかけを手首の振動に変えてみると、意外とうまくいったのだ。

起きたくても起きれない人は、試してみる価値はあるのかもしれない。

 

僕は以下の記事で、そのバンドの存在を知った。

https://kensuu.com/n/nc36a48832ee3

 ちなみに、僕はこのバンドが好きだ。


スピッツ / 優しいあの子

 

 

 

次にやっていることは、起きる時間を天に向かって願うこと、もしくは自分に言い聞かせること。

 

これは、小さい時からよくやっていることで、意外と効果があることだ。

 

明日起きる時間を、寝る前に願う。

 

神様、明日は3時に起こしてください、と。 

 

自分に言い聞かせることもある。

 

おい、お前明日絶対に3時に起きろよ、と。

 

 

これが僕にとっての早起きtipsだ。

他にも意識せずとも、早起きのためになっていることがあるかもしれないけど。

早起きのために僕がしていること

 

新聞配達のため、21時〜22時ごろに寝て、3時〜4時ごろ起きる生活を続けているが、どうしてこういう生活を続けることができているのか。

 

今まではどちらかというと、朝早く起きるのは苦手で、なかなか起きれなかったのに、早く起きれるようになったのはどうしてなのか。

 

そのあたりのことをここで書いておきたいと思う。

この記事は早く起きたい人向けである。

 

今から僕が早く起きるためにしていることを、一言で書く。一言で、だ。

 

 

早く起きるためには、早く寝ることだ。

 

 

もうこれだけである。早く起きるためにしていることは、早く寝ていることだ。

早く起きたければ早く寝ろ。早起きとは、それだけの単純明快なものなのだ。僕はそう思っている。

 

 

早く起きるためには、早く寝ることだ。

 

 

もう一度書いた。重要なことは、何度書いてもいい。早く起きたきゃ早く寝ろ。これほど明白なことはない。

 

 

ここで、早く寝たいけど早く寝れないんだよ、という反論がくることはこちらも予想している。僕も最初は早く寝れなかった。早く寝たいけど、早く寝ることができなかったのだ。

あんなに寝るのが好きなのに、ベッドに入っていざ寝ようとしても、寝れないのだ。

 

寝れないことに関しては、色々原因があるのだろうが、僕はこれも一言で解決できると思っている。

 

 

早く寝るためには、早く起きることだ。

 

 

もう言い切る。当たり前なことなのだ。早く起きたら早く寝れるのだ。

 

早く起きて早く寝る、早く寝て早く起きる。

これを繰り返すだけ。いいサイクルを作り出せる。

早く起きたい人には早く寝ろと言うし、いや早く寝ろっていわれても早く寝れないんだよ、と言ってくるような奴には、早く起きろと言う。

 

 

もう言いたいことはだいたい言い切った。

 

 

早く起きるためには、早く寝ることだ。

早く寝るためには、早く起きることだ。

 

 

これだけ言いたかった。こんなとんでもなく明らかと思えるようなことを、なんとも大事なことのように太字で大きく書いている。太字で文字を大きくするなんていう機能をこのブログで初めて使ったのではないか。

 

 とにかく、早く起きたい人、早く寝たい人にこれが届けばいいと思う。

 

 もちろん、色々言いたいことはあるだろうが、多分言ってくる人はいない。このブログの読者は限りなく少ないのだから。反論や批判なんて今までされた記憶がほとんどない。

 

僕は今日も明日も早く寝て早く起きる。早く起きたら早く眠れるし、早く眠れば早く起きれる。

昼寝をすると夜寝れなくなるからあまりおすすめではない。

完璧な準備は柔軟性に欠ける

完璧な準備がすべてではない。

 

 完璧な準備すれば完璧に準備した通り出せるだろうけど、それ止まりだし、柔軟性やとっさの対応力に欠ける。

  

 

先日、久しぶりに面接試験というものがあった。面接試験なんてのは高校受験の時以来だから、とても久しぶりだった。

 

僕はほとんどまったくと言っていいほど準備をしていかなかった。志望動機やおきまりの質問はある程度予想しつつ、回答もまったく考えていかなかった。

 

それで案外うまくいったのだ。志望動機は聞かれなかった。

 

うまくいった経験は次の準備を怠らせる。準備を怠ってはいけないのだけれど。

 

確かに準備ができるのならした方がいいという考えもあるだろう。

 

何に取り組むかでどれだけ準備が必要かが変わる。これだけやってればもう飛び込んじゃってあとで修正したりなんとかなるよ、ということがある。準備ももちろんしなくて良いというわけではない。

 

 

面接において大事なのは、どれだけ正確に回答を答えられるかではなく、またどれだけ回答を暗記していてそれを的確に素晴らしい回答としてたたき出せるかではなく、どれだけ自分の考えを伝えられるかだと思っている。

 

今回の試験でも僕は自分の考えをはっきりと伝えた。

もちろん、それは今まで学んできた教育の問題に関して自分で考えていたから、出せた答えや伝えられた考えであると思っている。

 

だから準備はしなくてもいいよ、なんてことを言いたいのではなく、自分の中にちゃんと考えを溜め込んでおきたいよねということ。

でないと、言葉もうまく出てこないし、そもそも考えの軸がブレブレになっちゃう。

 

 

この質問がきたらこう答えようとその答えだけ準備していると、うまくいかないだろうなとは思っている。

 

ある程度の答えは用意しつつも、完璧に言葉なんて覚えてしまわなくていい。覚えない方がいい。

 

その場で考えて言葉を出せるように、考えをあらかじめたっぷりとためておくのだ。もちろん、質問の予想はした方がいいかもしれないけど。

 

でも何か一度うまくいってしまうと本当にズルズルと引き伸ばしちゃうことはあるから、そこは引き締めなきゃならないところだ。

 

よくあるだろう。以前のレポートは三日前に始めて間に合ったから、今回もまだ始めなくていいや、というやつ。

これは誰しもやってしまうこと、そういう風にできてんだろうな。

運動後のシャワーほど気持ちの良いものはない

運動後の気持ちの良いシャワーを浴びるために、また同じような運動ができるのではないかとさえ思える。

 

このようなことを村上春樹が言っていたような気がする。

たしか言っていた。

言っていなければ僕が言ったことにする。

 

朝、新聞配達を終えると、結構汗をかいている。家へつくとすぐにそのままシャワーを浴びる。

 

これがなんとも気持ちがよい。

自転車をこぎ家を回り、階段をかけあがり、汗をかいたあとのシャワー。これはなんとも言えない気持ちよさがある。

 素晴らしい。

 

そのままシャワーをでてまた身体を動かして、このシャワーの気持ちよさを再度感じたいと思うのだ。

 

普通に朝起きてなにもせずシャワーを浴びるのとは訳が違う。

 

あの運動後の朝シャワーは素晴らしく気持ちがよい。とっても気持ちがよい。

 

気持ちよさを一度味わうと、またその気持ちよさを感じたくなる。

 

僕は毎朝新聞配達という運動を終えて、気持ちのよいシャワーを浴びて、1日を始める。

とても素敵な1日の始まりだ。